お楽しみ会が先日あったのですが、
あまりにも自分たちの時のお楽しみ会とは違うことに
驚いています。
まず、自分たちの時を振り返ると
劇でいえば台本があり、その台本のセリフを
覚えて練習するというのが流れでしたが、
子どもから聞くと、
台本の大筋は先生が用意してくれるけれど
中身や展開は子どもたちが考えたものが反映されるようになっていて、
セリフも、こうした方がいいんじゃないかというのがあれば
自分たちで変えていってしまうそうです。
アドリブもOKなのでその日によって演じ方も変わるそうです。
子どもに聴いてみると、
一緒にやるお友達と相談して、
「紙をめくるのを忘れちゃったり、地球儀で遊んじゃって
セリフを忘れちゃったりするから、おい!!とかちゃんとやれ!
とか言って皆を笑わせちゃうのはどう?」
と、当日のシナリオにアドリブを効かせるということを
子どもたちで話し合って行ったそうです。
主体が子どもたちにおけるようにすることや
台本の中身を自分たちが決めているような体験ができることが
子どもたちの主体性を生み出していくのだということを学びました。
正しいセリフを言うよりも、楽しむことを体験できる
「お楽しみ会」。
改めて行事の目的が持つ意味の大切さを感じます。
ミマモリスト
眞田 海