子ども達を見ていると、
毎回毎回、「対話」をしているのが分かります。
この間も、小さいビーズを並べる遊びを息子がやりたがっている時に、
お互いの気持ちをぶつけあっていました。
息子「これやーろおっと!!」
娘「でもこの間それやったらじゃーって失敗したからダメー」
息子「えー、でもやりたいんだよー」
娘「だってこぼしたら、片づけないでしょ、片づけ手伝うの嫌なんだけど」
息子「今度はこぼさないよ」
娘「こぼしたらどうすんのよ」
息子「・・・・えーー、やりたいよー!」
娘「じゃぁ、こぼれてもいいところでやってね!」
息子「うん、じゃぁ、こぼれないようにお皿の中でやる」
娘「・・・・・・」
納得したのか、何も言わずに娘は離れていきます。
遊んでいいかどうかよりも、お互いに納得するまで
対話する。そんなことを大切にしている子ども達を見ていると、
私たち大人は、本心本音をいつも交換しているだろうかと
改めて感じます。
京都大学元総長 平澤興氏の講話録の中にこんな一説があります。
「一番人間にとって危険なことは、自分の経験とか自分の学問とか、
あるいは自分の考え方とか、そういうものだけを頼りにして、人との話し合い、
対話をしないという事だと思うのであります。」
自分の中の正義を振りかざし、人との対話や
価値観の多様性に豊かさを感じられなければ、
人と人とが異なることの意味を見いだせず、
ただただ違いとして排除していく世界になるのではないかと感じます。
今週、息子が妻に
「陽平は、澪の弟になるために生まれてきたんだー」
と話していました。
私は自分の能力を伸ばすことに生き甲斐や幸せを感じることよりも
子ども達のように皆との対話や関係性の中で人生を歩めることに生き甲斐や幸せを
感じていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海