妻の実家の立科は今、
稲刈りの時期でもありますが、
同時にりんごの収穫の時期でもあります。
家を出て歩けば右も左もリンゴ畑であるため、
朝早くからリンゴ農家の方々が収穫する姿がみられます。
農家の方々の軽トラの整備を
自動車整備工のお義兄さんに依頼しに来ると、
家の前でパパパッと直し、、、
そのお返しに後でリンゴを山ほどもって来ていたりと
その土地らしい姿を感じられる季節です。
郵便局をやっているお義母さんのところには、
ハガキを出しに来るというよりも世間話をしに、
お茶を飲みに来るというような感じです。
そうやって集落の情報が集い、拡散していきます。
また、それぞれに繁忙期を迎えた人たちを
周りの人たちが手伝いに行くのも習慣です。
今年はお義父さんの怪我を聴いた隣人の方々が
稲刈りを手伝いに来てくださったりと
集落としての繋がりを特に感じる一年となりました。
東京の自分自身の暮らしでは、
マンションの隣の方が今どんな状況かなど
全く知る手段がありません。
また、郵便局に行ってもハガキや荷物を配送するだけで、
お茶も飲むこともなければ、情報も配信してくれません。
本来、郵便局が果たしていた「ハタラキ」が
今は消えてしまっているのだと感じます。
そもそもはどんな仕事も、
ただその仕事の職務だけを果たすのではなく、
世の中や国、地域に対しての「ハタラキ」があるのだと感じます。
自分達の利益の為、効率の為ばかりに動いていては、
大切なその「ハタラキ」を忘れ、道から外れて経済に偏ってしまうのだと感じます。
経済に偏れば経済的な競争をするしかなくなります。
価格競争や機能の比較。
比較・競争の先にあるのは共倒れです。
だからこそ、本来の「ハタラキ」を忘れず、
智慧を絞り続けていく事が大切なのだと感じます。
ミマモリスト
眞田 海