先日のべてるの家の当事者研究の進め方の中で、
①何がどうなっているのか
繰り返し起きている出来事のパターン、起きている「問題」の意味の見極めと吟味する。
「問題」の良いところや前向きな効果や意味を考える。すでに解消された「困難」や「成果」も、
それがなぜ解消されたのか、どんな「自分の助け方」が発揮されたのかを取り上げることもある。
この場面で、ロールプレイや、図や絵などを用いる。
②それにどう対処してきたのか
起きている「問題」をどのように受け止め、対処してきたのか。
爆発や強迫的な行為も、「自分の助け方」の一つとして受け止める。
③その結果や満足度は?
ある出来事に対して取ってきた対応-例えば「爆発」-の満足度、効果を確認し、
満足度が低い場合はそれに変わるあらたな手立てを一緒に探る。
こんな説明がありましたが、
この「起きている問題」も「爆発」も悪いものとせず
問題も発達の過程であり、爆発も「自分の助け方」のひとつであり、
その効果や満足度が低ければ高いものに変えていけばいいという考え方は、
子どもに対する眼差しが確かに変わってきました。
子どもが起こしている癇癪についても、
まだまだ自分自身には「また、、、機嫌悪くして、、、」
と、感情が出てくることは変わってはいませんが、
きっと、何かが不安なんだろう、嫌なんだろう、
それに対する自分の助け方がこれしか今は出来ないのだろうと
感じられるようになってきました。
この感情自体が「不信」から「信」に切り替わっていけば、
その姿勢はまさに「聴福人」の姿勢のように感じます。
相手や物事、出来事にはきっと何か意味がある。
自分が分からないものがあると信じて聴く心が、
子どもに寄り添っていく為の大切な事なのだと
改めて感じます。
まだまだ、自分自身を磨いていく必要も
余白も沢山ありそうです。
日々、道場として磨いていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海