娘がスケートを習い始めて約半年、
スケート場の送り迎えもようやく慣れたことを実感します。
今までは、知らない場所に勝手もわからず、
レッスンを待つのも、ずっと手持無沙汰でしたが、
最近は娘のレッスンを自分事のように見る楽しみを知ることが出来ました。
娘が今どんな気持ちでレッスンを受けているか、
どの練習が好きでどの練習が苦手か、
何が嬉しくて何が嫌だったか。
送り迎えを通して、娘に聴いたその繰り返しと
積み重ねのお蔭で、レッスンを娘の気持ちや
言っていた言葉に重ねて見られるようになったのです。
改めて、子ども理解は子どもが自発的に発する言葉から始まるのだと感じます。
こちらが質問したり、聴いたりしても本音や本心でない場合が多々あるだけでなく、
それは、子どもが自ら話したくなる環境を作ろうとしない自分自身の課題を
覆い隠していることにもつながるのだと気づきました。
そして、聴くのは自分が分からないから。
そして分からないのは一緒になってやっていないから。
傍観者や引率者として見ているから。
一緒になって喜び、苦しみ、悔しくなったり、疲れたり、
その繰り返しが大切なのだと改めて感じます。
それはやはり仕事も同じなのかもしれません。
傍観者や引率者、依頼人、請負人、そんな風にならないように
一緒になっていく事を大切にしていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海