今日は聴福庵の井戸掘りを行いました。
先月、地鎮祭、井戸掘始祭を行っていただきましたが、
先週からクルーみんなで掘り進め、今日で合計5日目。
6メーターに迫るころにようやく水が出てきました。
水は生活必需品であり、命の必需品。
井戸の存在は生きるためにも暮らすためにも
大変貴重なものであったわけですね。
今の時代は水道をひねれば水が出てくるため、
あまり、ピンとは来ませんが、、
それはやはり、地球から頂いているものを
「当たり前」と思って暮らしているからかもしれません。
水があること、木があること、火があること、
野菜やお米が収穫できること、病にかからないことが
「当たり前」ではなかった時代が必ずあります。
そのあたりまえでない時代の人々が
知恵を絞り、文化や文明を伝承して下さったお陰で
今の自分たちがあるのだということを忘れてはならないと感じました。
井戸の底で、砂をスコップで掘り起こし、砂まみれになりながら、
まだかまだかと、地球の息吹、生命の泉が噴き出ることを待ちわびる心。
浸み出る水を足で感じながら、
砂だらけになりながら、「当たり前」が
「当たり前」ではなくなっていく体験。
こんな風に、水一つ、火ひとつ、食べ物一つでも
当たり前のことではないのだという「感謝」の実体験を、
子どもたちに伝承していけたら、
子どもたちの心に、今まで日本人が大切にしてきた心や
智慧を届けられるかもしれません。
井戸を掘ることが大切なのではなく、
子どもたちに残していきたい多くの体験や暮らしを
自分たちがまずは見つけて実践していくということ。
そして、その伝承施設や伝承できる暮らしを営んでいくこと。
その心を大切にしていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海