先日の熊本では避難勧告が出され、
今回の鹿児島出張では50年に一度の大雨と
今年、九州の梅雨は何か強いものを感じます。
関東にいる時でも、豪雨の時は子どもは
何か異変と捉えて畏れて網戸から離れてみたりと
自然への畏敬の念を覚えている子どもを見ると、
どこでそれを覚えたのだろう。
若しくはそもそも備わっているのだろうかと
不思議に思うことがあります。
その原点については、知識として教え込む必要があるのか
それともそもそも備わっているのだから引き出す必要があるのか
それによって、教育や保育の仕方も変わってくるのだと思います。
そもそもが備えていると思えば、信じてその力を引き出せる環境を用意するかもしれません。
しかし、ないから教えないといけないとなると、大人が教え込む必要があります。
教えようとすると、「伝える」「話す」ことが主流となりますが
引き出そうとすると「聴く」「共感する」など使う場所も変わってきます。
自分自身が子どもと関わる時、また誰かと関わる時
どっちを大事にしているのか。
また改めて自分を見つめていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海