昨日はカグヤ一家の法被を羽織る際に履く
股引きを買いに、浅草の祭用品店に家族で行きました。
祭の法被や股引きと言うと、派手なイメージがありますが、
お店の方にお話をお伺いすると、「粋」とは
「自分が前に出るのではなく、
相手が前になるように、自分が引く事、謙虚なこと」
だから「恰好が悪い」と言うのは、
「自分が恰好が悪い」のではなく、「相手にとって格好が悪い」
と言う事なのだと教えて頂きました。
自分の為の事ではなく、相手の為にと言う事が「粋」であることを学んだ矢先、
帰りがけに訪れた浅草寺で「粋」な方に出逢いました。
小雨がちらつく中の浅草寺は外国からの観光客、
日本人の観光客に溢れていましたが、
その方はその中でひとり、ひたすらに手を合せ
何度もお祈りをしていらっしゃいました。
ただひたすらに、真剣に、丁寧に、
何度も何度も手を合せお祈りをささげる姿は
その場の誰よりも美しく、恰好良く見えました。
あの方は、自分の為にあそこまで祈っていたのでしょうか。
それとも、誰かの為、仏様の為に祈っていたのでしょうか。
それはお聞きしていないので分かりませんが
自分に軸足を置くのではなく、
相手に軸足を置くという実践の意味を
改めて考えさえて頂く機会を頂いたように思います。
保育における「粋」とはどんなことなのでしょうか。
仕事における「粋」とはどんなことなのでしょうか。
自分自身に問い続け、実践の中で学んでいきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海