ミマモリストの実践

ミマモリング=心を寄せること。

カグヤでは一緒に働き、一緒に生きる中で、お互いに心を寄せ、思いやることの大切さと、そこで生まれる感動や豊かさを大切にしたいと思っています。ただ仕事をするのではなく、自分の心の環境がそのまま仕事に表れるからこそ、「心を寄せること」を大切にしていきたい。そんな「ミマモリングを実践していく人々=ミマモリスト」の取り組みをご紹介いたします。

2016/05/04

「アイヌモシリ一万年祭」

今年はカグヤでは「祭部」が発足したこともあり、
北海道のアイヌ民族の祭りを調べる機会を頂いています。

そもそも、アイヌとはどんな意味があるのかを調べると、
wikiでは

アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、
もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)
に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。

と書かれています。

アイヌの社会では、「アイヌ」という言葉は本当に行いの良い人にだけ使われた。
丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。

とも書かれています。

信仰については

アイヌの宗教は汎神論に分類されるもので、動植物、生活道具、自然現象、疫病などにそれぞれ
「ラマッ」と呼ばれる魂が宿っていると考えた。この信仰に基づく儀礼として、
「神が肉と毛皮を携えて人間界に現れた姿」とされる熊を集落で大切に飼育し、
土産物を受け取った(殺した)上でその魂を持つ(カムイ)を天界に送り返す儀式イオマンテがある。
祭壇はヌサとよばれ、ヒグマの頭骨が祀られた。

とも書かれています。

そのアイヌ民族の祭りの一つとして
「アイヌモシリ一万年祭」というものがあります。

主催者のアシリ・レラさんの言葉ですが、

「どんなに文明科学が発達しても、変わらないものがある。
自然の摂理だけは変わらない。
何百年、何千年経っても変わらないのね」

「アイヌは身体で覚える。身体で覚えたものは忘れない。
でも、いまの人たちは頭で考えて、行動がともなってない。地に足がついてないよね」
「チャランケ。アイヌは話し合いをする。
暴力はダメ。人間には言葉がおろされたの。
だから話し合いするんだよ」

「これ(アイヌモシリ一万年祭)はアイヌの先祖の人たちの供養なんだけれども、アイヌだけじゃない。
アイヌのために命を落とした人たちの供養でもある。
だからここに、アイヌじゃない人たちが、
こうやって集まってきてくれるっていうことは、
その人たちの先祖供養でもあるんだよ。
みんなつながってるんだってことだね」

「1万年前はすべての民は神の子で、
大地はウレシパ・モシリ(互いに育ち、育み合う大地)であったのに。
人間は欲のために殺し、奪い合い、血と破壊の歴史は繰り返された。
1万年前の原点に戻ろう」

その為に開かれる祭りです。

今の人類が見て見ぬふりをしてしまいがちなところに
向き合い、生き方を省みて歩んでいる方々がいるということ。

自分達の代だけではなく、もっと先の代を考え、
子ども達の事を考え、地球の事を考えた方々の実践の場。

その意味でも、また学びの多い祭りのように感じます。

また少しずつ深めていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田