今日から理念研修で新潟に来ています。
明日からの研修に備え、今日は移動と
弥彦神社への参拝、そして120年の古民家と
250年の古民家の見学もさせて頂きました。
その中で、古民家の2階で印象的な取り組みをされていました。
そこはこう説明がされてあります。
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「小鍛冶屋」の愛称で呼ばれてきた元民家。
その2階に家の奥様が、芸妓さんや地域の方に
お茶やお華を教えていた部屋があります。
床に据えられた炉釜や「勉強室」の札など、
往時の記憶が部屋の端々に残っています。
「主が客をもてなす。礼を尽くすこと。」
岩室の地に脈々と受け継がれてきたであろう精神を、
丁寧に、くらしの実践をもって教えてこられた場所でした。
平安時代、宴や儀式など、 ハレの日に貴族たちが
邸宅の室内を調度(生活道具)で装飾することから
始まったといわれる古くからの「しつらい」。
この行為の背後には、 「客人(マレビト)を迎え、送る」精神があります。
この言葉になぞらえ、小鍛冶屋2階のスペースは
「室礼(シツライ)」と名付けられました。
「室礼」では、先人・先祖の紡いだ文化、生活を取り巻く自然、訪れた人々―
様々なものを「客人(マレビト)」として捉え、
「迎え」「もてなし」また「送る」プロジェクトを進行させます。
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http://shitsurai.bricole.jp/about/
そう説明されたその場所へお伺いさせて頂くと、
「室礼」についてはずぶの素人ですが、
そこに置かれたものから感じる暖かさや心地よさを感じます。
それは、自分が心地よいものを作ったり置いたり、
自分が好きなものを置いたりというモノではなく、
ここに訪れる方を想い、祈り、紡がれたものが
置かれているという事のように感じます。
そのおもてなしの精神を、
日本の伝統的な生活道具で装飾するという事。
これは、日本人ならではのおもてなしであり、
環境設定であるように感じます。
先日、海外の有名な保育の創始者が
「保育は真似できるものではなく、実践すること」と
お話さされていることをお聞きしました。
それは、海外の保育方法を日本に持ってきても、
日本の風土、個性、実践する本人のその人らしさ、伝統など、
様々なものの基盤が違うのだから、本質は真似は出来ない。
大切なのは、この保育に触れたら、そこからインスパイアされたこと
一つ一つを実践し、自分で積み上げていく事だとお話を聴いて受け取りました。
それは人生と同じように思います。
誰かの人生を自分が同じように生きることはできません。
インスパイアされ、自分で自分の人生を実践から積み重ねていくのだと感じます。
それと同じことを今回の室礼から感じることがありました。
真心や心を寄せるという事も、
こういった日本文化を学び実践する中から
自分らしさが発揮されるのではないかと感じます。
実践していないのでよく分かりませんがこのインスパイアされた感覚を
実践の繰り返しから、学んでいきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海