中学校時代の同級生が亡くなりました。
棺の中の顔を見ると、
文化祭では一緒にバンドをやり、
共に遊んだ日々など、、、
沢山の思い出が溢れてきました。
家族想いで、繊細で思いやりに溢れた人でした。
不慮の事態が重なってしまい、
この世を去ってしまった友人。
どんなことにも意味があるとはいうものの。
なぜこの人が。
なぜこのタイミングで。
なぜなんだと、思わずにはいられません。
これは時が過ぎ去る中で
その理由を感じるものなのでしょうか。
20歳の頃、私自身も父親の余命を知りました。
早くに父を亡くしたことは当時は辛いことでしたが、
お蔭で、沢山の皆さんからの支えや、挑戦の機会を頂きました。
そして、生きている時と同じくらい。
もしくはそれ以上の見守りを父親から今も頂き続けています。
今ははっきりと父親の死については
「あのタイミングが完ぺきだったのだ」
と、感じられます。
今回の事も、きっとこの死に関わる人々それぞれに
必要な機会としてあるのかもしれません。
今はただ、故人の冥福を祈るばかりですが、
あの若さのまま、あの笑顔のまま、
生き続ける友人との思い出と一緒に生きて行きたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海