お祭りを通じて、自分自身に
「日頃から見守られている」ということを
感じられる環境が不足していることを実感しました。
見守られている実感を自分自身が持たずに、
「見守ろうとするという事」
これはある意味で傲慢だと感じました。
地域、ご先祖様、両親、ご縁頂いた方々、
皆さんから見守られて今があるという事。
そこを忘れれば、「見守り」は自分から始まることになります。
そもそものご縁、ご恩、命は連綿と紡がれてきたもの。
頂いてきたもの。
そのつながりを断ち切るのはなんだか申し訳ない気持ちになります。
自分自身の中にある「傲慢さ」
これを少しずつ失くしていきたいと感じました。
そこで、「日頃から見守られている実感」を
得られる環境として、神棚を用意し始めているのですが、
ようやく、神棚を飾る棚を設置できました。
まだまだ敬い、祀るにはおもてなすための
神具など足らずですが、こちらも併せて準備をしているところです。
設置することが目的ではありません。
設置するまでのこのプロセスを、子どもと一緒に家族で一緒に話し合いながら
味わっていく事を大事にしていきたいと思います。
そこにお祭りの原点が含まれているからこそ、深めていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海