今年の7月に聴福庵にて磨いた木枠が、 href=”http://www.caguya.co.jp/wp2/mimamolist/family/p7245/”>http://www.caguya.co.jp/wp2/mimamolist/family/p7245/
今日、大工さんの手でトイレの窓枠になりました。
私はこの木枠を作った訳でもなく、
木枠にはめられたガラスを作った訳でもありません。
ただ、磨かせて頂いただけなのですが、
磨いたときの体験が思い出されました。
100年経過した木枠は白く枯れてしまっていましたが、
磨いていくと艶が戻り、節が見え、みるみると生き返っていきました。
磨くという経験は、磨く対象そのものが持つ力や魅力を引き出すような
そんな体験を思い出しました。
その磨いた体験とその木枠がトイレの窓枠になると、
なんだか、不思議なのですが先日の園長先生から学んだ言葉とつながります。
「子どもは自分で作ったものが園に装飾されると
園にその子が位置づくんです。」
という言葉です。
私が作った訳ではないのですが、
磨かせて頂いたその木枠が、
トイレの窓枠になるという事だけで、
この家の一部に自分自身が位置づいたような
そんな幸福感を得ました。
子どもたちがいつも、嬉しそうに保育園の帰りに
教えてくれていたのは、こんな気持ちの状態でだったのかもしれません。
人も空間も磨かれていくということ。
日頃の暮らしの中でも子どもたちから生まれる物事を、
しっかりと活かし、暮らしの一部にしていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海