今日は「あの世へ逝く力」の著者である
小林 玖仁男さんにお話を頂きました。
「死にも技術が必要です。
終わりが近づくほどに、人生は楽しくなる」
そう仰る小林さんの言葉の端々から、
「死」や「病」は悪いことではなく、
「福」なのだという事をお聞きしました。
そして同時に父の事を想う一日となりました。
余命1年を宣告されてから死ぬまでの2年間。
父親と一緒に過ごした日々を思い出しました。
父親が死を受け入れ、覚悟し、
今までにお世話になった方々に車で全国会いに行き、
お礼をしに行った日々や胃ろうになりながらも
息子と一緒になって挑戦したヨットの全日本選手権。
一緒にバンドをやったり、梅干しづくりをしたり。
本当にいろんなことを一緒にして過ごしました。
終わりが近づくほどに、本当に人生が楽しくなったのを思い出しました。
小林さんのお言葉の中に、
「今日が最後だと思って生きると見え方が全く変わる」
とありました。
確かに、父親も、そして家族も、そして父の友人たちも
そして、私の友人たちも、
「もう二度とこれは出来ないかもしれない」
という想いがあったからこそ、お互いが主体的に、
一期一会の奇跡の流れの中で過ごすことが出来たのだと
今日お聞きして感じることがありました。
父親はあまり自分の内心を語る人ではありませんでしたが、
きっと、「死にざま」を決めていたのだと思います。
人々に感謝して、家族に感謝の言葉を言って死ぬ。
最後に家族の手を握って「ありがとう」と言って果てた父の事を
今日改めて、立派な死にざまであり、誇らしく感じました。
どうやって死ぬか。その死に方を決めるからこそ、
そこに向かっての生きざまがあるのだと学びました。
自分自身も「どう生きるか」ではなく
「どう死ぬか」という観点から、自分自身を見つめてみたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海