奈良に出張に来ています。
三重からの移動で夜が遅くなり、
夕食をどこで食べようかと考えていたのですが、
ホテルの近くで検索をかけると、一軒のお店を見つけました。
電話してみるとまだやってらっしゃるとのことで、
地図を頼りにお伺いしてみると、
看板もない小さな家が一つ。
しかし、家の中からは何やらにぎやかな声が聞こえてきます。
勇気を出して入ってみると、
たくさんの方々で賑わっていました。
ご高齢のおばあさん2名で営んでいるお店でした。
お客さんに対する対応を見ていると、
とにもかくにも人情にあふれていて、
ご飯もおいしかったですが、
お客さんとの対応を見ているだけで豊かな気持ちになれる
そんな素敵なお店でした。
食事を終えると、声をかけてくださいました。
「あんた、どこからだい?!」
「東京からです。」
「そうかい、おいしかったかい?!」
「はい、ご飯もおいしかったですけど、さっきのご家族への振る舞い、
東京ではもう見られない、人情にあふれた感じで本当に素敵なお店だと思いました。」
そう伝えると、
「私はこの店を旦那がガンになってから始めたんだよ。
どうにかして旦那を食べさせられるようにと思って始めたけれど、
看板を出すような商売ではないと親族から厳しく言われ、
結局看板も出さないお店になったんだよ。
大変だったけれど、ガンになってから結局10年旦那は生きてくれて、
毎日仕事を終えて『今日も仕事が出来ましたよ、あなた、ありがとうございます』
と伝えられることが何よりも幸せだった。」
そうおっしゃられました。
ずっと一緒に暮らしていた日々よりも、
最後の10年が何よりも幸せだった。
そうおっしゃるお母さんに何が幸せだったのかをお聞きすると、
「物をもらう幸せなんかは、本当の幸せではなかったね。
幸せだったのは優しくされたことだよ」
それを聴いて、優しさとは何かと分からなくなりました。
それをお聞きしてみると一言。
「尽くすという事だよ。お互いに尽くし合ったこと。これが何よりも幸せだった。
自分の為にとか考えず、相手のことを思いやり、身を尽くすこと。
これが何よりも幸せだったんだよ。
撒かぬ種は生えぬと言うでしょう。
撒くというのは尽くすということだったんだって。
それが幸せだったんだよ。
貴方も、ちゃんと尽くしなさい。」
そう教えてくださりました。
「身を尽くす優しさと身を尽くさない優しさ」
そこには大きな違いがあるのだと
教えてくださいましたが、思い当たることが多々あります。
ただただ、知識や方法を教えることを優しさと思う事があれば、
相手が自ら出来るようになるために環境や体験を用意して、
一緒に寄り添っていくような優しさもあり、
頭ではなく身を使えば使うほどに心が働くような経験が多々あります。
「身を尽くさなきゃ、撒いたことにならんよ」
そう、83歳のおばあちゃんが教えてくださったように感じます。
素敵な夕飯と教えを、ありがとうございました。
ミマモリスト
眞田 海
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