今日から妻の実家の長野県立科市に来ています。
市内にはコンビニも一つだけ。
信号も数えるだけ。
それこそ、都会から来れば、
「何にもない」
って思いますが、よく考えれば
都会的なものが何にもないという事は、
それ以外が「すべてある」という事。
妻の実家についてみれば、
何にもないからこそ、子どもたちは自然と走り出し、
カエルを捕まえ始めたり、アオダイショウを探し始めたり、
モグラの穴に水を入れ始めたり、バッタを捕まえたり。
近所のお隣さんの家の方まで歩けば、
おじいちゃん、おばあちゃん、ご夫妻までもが
自然と声をかけてくれ、面倒を見てくれたり、
近所の自然の歩き方を教えてくれたり。
育ちを本当に喜んでくれたり。。。
自然とのふれあい、人と人とのふれあい。
どちらも有難いほどに味わえる有難い環境があることに気づきます。
都会にはないものがたくさんあることに気づきます。
無い、無い、と思えば無いものしか見えませんが、
無いという事はそれ以外がすべてあるという事。
偏りのない見方を大切にしていきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海