昨日とった一番だしで食べたお茶漬けがあまりにも美味しく、
削りたてで酸化していない鰹節が持つ「旨み」に驚いてしまった為、
鰹節のことを少し調べてみました。
http://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/17/
(国立国会図書館のサイトです)
それによると日本の歴史の中で一番最初に鰹節に関する文献が遺されたのは
天平宝字元(757)年に施行された法令である養老令の注釈書『令集解』だそうです。
「堅魚」という呼び名で呼ばれていますが、当時はまだ現在のような製造法ではなく、
煮たものを干したという様子で、朝廷への貢ぎ物ともされていたようです。
まだまだ、日本には「だし」の文化は広がっておらず、
当時はまだ「堅魚煎汁(かつおいろり)」と呼ばれ、カツオを煮干すときの
煮汁を煮詰めたものを「だし」ではなく、「調味料」として使っていたそうです。
今と同じように焙乾し、カビ付けを行うような製造法になったのは17世紀終わり、
土佐で行われるようになり、製造法が広まっていきました。
そして大阪にて鰹節業の問屋が成立し、18世紀には江戸にも流通が広まったそうです。
そして、食養の観点からも鰹節は身体に善いとみられていた様で、
江戸時代(1690年代)の医師である平野必大による『本朝食鑑』では、
「気血を補い、胃腸を調え、筋力を壮し、歯牙を固くし、
腠理(皮膚のきめ)を密にし、鬚髪を美にす」という効果・効能がある
と紹介されています。
「だし」としての利用についての最古の文献は大草流の相伝書として、
『群書類従』に収録されている料理書で、室町時代の後期の資料と推定されているそうです。
「だし」が文化として広まっていくのは鰹節問屋の成立とともに、
江戸時代に広まっていき、日本食文化の中核に位置付けられるようになったそうです。
料理書としては江戸時代から文献は残されていますが、
一般家庭の台所を対象にした文献が広まるのは明治(1890年代)に入ってから広まったそうです。
鰹節が文献として残されて約1250年。
文献になる前から先人の方々は智慧を絞りつづけ、
発展し、継承され続けて今日に至ることを思うと、
どれくらいの月日が経ったのでしょうか。
カツオの旨みを醸し出すカビなどの微生物の力を
どのようにしたら引き出していけるのかと、
手間暇をかけて環境を整えてきた先人たちは
目に見えないその発酵という存在を信じて見守り
軸足を自分達ではなく素材に置いて、自分達の行動を改善し続けてきました。
その歴史を少しだけ今回学ばせて頂きましたが、
その深さと豊かさは、これから自分自身が暮らしの中で
実践し、味わっていくものなのだと感じます。
文化とは受け継いでもらえる人達がいなければ
消えてしまいます。
そして、継ぐ人たちにとっても豊かでなければ
文化の受け継ぎは成立しません。
自然にとっても、先人にとっても、子ども達にとっても
豊かな道を求めて軸足をご縁に置き、実践から学んでいきたいと思います。
ミマモリスト
眞田 海