『父親保育』での検索結果一覧

小学校の学校公開に参加してきました。
 
改めて感じるのは自分たちの時代の頃の「小学校」とは
同じ公立でも随分と違うものだということです。
 
例えば、私の通った小学校では
同じ学年同士で遊ぶのが当たり前。
 
違う年齢の子どもたちと遊ぶという概念はほとんどありませんでした。
授業やクラブで年上の人や年下の人のチームと戦うということはあっても、
自然発生的に異年齢になって遊ぶということは体験がありませんでした。
 
また、授業も先生の話を聴いて、先生に質問されて生徒が答えていくのが当たり前。
問題を解くよりも板書の時間が長いというのが当たり前でした。
 
それが今は、異年齢で生活していたり、
授業は生徒同士で話し合ったり、生徒が先生に質問していったり、
ワークショップを通して学んでいったり。
 
問題も答えも自分で作り、それを生徒同士で解き合ったり、
展示して違うクラスの子どもたちでも解き合ったり。
 
自分の頃には発想も出来なかったことです。
 
時代は着実に変わり、時代に合わせて教育も着実に変わってきている。
 
そんな実感を感じる機会となりました。
 
そして、この時代の変化に危機感を感じることがありました。
 
「セーフティー教室」を見ていると
先生と子どもたちは一生懸命、
 
「知らない人が話しかけてきたらどうするか」
 
「車に乗せられそうになったらどうするか」
 
「『お母さんが倒れたから、すぐに病院へ行こう、
さあ乗って』と言われたらどうするか」
 
など、もしもの事態が起きたらどうするかを
VTRを見て学び、その後に話し合ったり、
試しにやってみたりと練習したりしています。
 

 
最近は日本全国で小さな子どもたちが誘拐されたり、
殺害されたりという事件が起きています。
 
都心だけでなく田舎でもどこでも起きています。
 
私の子どもも実際に不審者に
おなかを殴られるという暴行を受けたことがあります。
 
こうやって子どもたちがその対処法を学ぶのはとても大切なことだと思います。
 
しかし同時に、
「なぜ子どもたちがここまで人を疑い、恐怖しなければならないのか?」
 
と思ったとき、
 
地域の見守りの目を無くしているのは
私たち大人自身ではないかと感じるのです。
 
昔、子どもはその地域の人々が見守って育てていました。
それは、自分の子どもかどうかも関係なく、地域の子どものことを
皆が見守るということです。
 
地域のお祭り、行事、様々なことを通して、地域の人々同士が
知り合いであった社会が今は個人の暮らしを優先し、
地域が消えていき、見守りの目が消えていきました。
 
この見守りの目を復活させるには、昔あったお祭りや行事などを
今の時代の形で何かしらの環境に変えていくことが必要なのではと
改めて感じます。
 
知り合ってさえいれば、LINEを通じて「~~ちゃんがここに一人でいたよ」
とすぐに連絡が取り合える時代です。
 
人と人のつながりを感じられるツールは沢山ありますが、
繋がりを持つきっかけがありません。
 
「OB父親保育」のように地域に参画できる環境を
何か小学校でも考えていきたいと思います。
 
ミマモリスト
眞田 海

今日、卒園した子ども園から連絡がありました。
今年もOB父親保育が開催されるということで、
11月某日に行われるので希望者を募っていました。
もちろん!
今年も参加するぞー!と心が熱くなりました。
「地域で地域の子どもたちを見守れる環境づくり」
この環境をどうやって作っていくか。
それは、地域の大人たちが、自分の子どもたちではなく、
地域の子どもたちを保育する体験ができる環境を用意していくこと。
そして、その環境がその地域人々の文化となるまで磨き上げること。
そんな想いを胸に秘めて立ち上げに参加したこのOB父親保育。
自分の中では地域とのつながり、地域としての役割、様々なものを
仕組みとして取り組める有難い機会です。
この取り組みを元に、小学校でのPTAや中学校での親としての役割もまた
見えてくるのではないかと考えています。
今まで、自分の子どもに精一杯だった中で
地域や自分以外の子どもたちのことへ目を向けるなんて
考えたこともありませんでした。
けれども、自分の子どもを大切にしたければ、
自分の子どもと同じくらい、地域の子どもたちを大切にすること。
それが自分の子どもを大切にするということにつながるのだということを
父親保育では学ばせて頂きました。
そんな機会を卒園後も頂ける園と出会えたことは
本当に有難いこと。
年に一度しかない機会ですが、
仕組みの意図を学び、世の中に広げていけるよう
身に着けていけたらと思います。
 

 
ミマモリスト
眞田 海

もうすぐ、息子も保育園を卒業して小学校です。
 
保育園では先生に見守られ、
異年齢の中で年上、同い年、年下のお友達に見守られ、
父親保育や様々な行事で保護者に見守られ、地域の人々に見守られ、
みんなに見守られて育ってきました。
 
私自身が育てたという実感はありませんが、
こうやって沢山の方々に見守られて育ってきたという実感は
何物にも代え難い実感です。
 
娘も息子も、その見守られて育ってきたという事実と体験が
これからの人生に於いて、誰かを見守ることが出来る人になっていくための
貴重な原体験となっていってもらえたらという願いが湧いてきます。
 
そのためにも、その原体験を失ったり忘れたりしないように
親として寄り添っていきたいなと改めて感じます。
 
今週末は保育園での最後の成長展という行事です。
 
子どもたちの成長を感じられる機会でもあるとともに、
0歳から卒園時までの発達がどのような環境によって育まれ、
どう子どもたちが見守られて成長してきているかも感じられる
大切な行事です。
 
それこそ、作り上げた作品や出来るようになった技術といった表面の喜びではなく、
そこまでのプロセスにある奇跡やエピソードや見守りを感じられるというのは、
子どもの心情や意欲や態度に寄り添ってこそのこと。
 
「作品の出来」や「できるようになったこと」が凄いのではなく、
自ら発達していくことそのものが凄いのだと感じられるのは
やってあげる保育や一斉画一の先生主導型の保育ではどうしても感じられないもの。
 
そんな有難い機会をまた今年も味わいつつ、
それを家庭で環境としてどう取り入れていけるのかも
今年は良く見つめていきたいと思います。
 

 
ミマモリスト
眞田 海

働く人たちに「同じ想い(理念)」で働いてほしい。
 
そう思うのは経営者だけならず、従業員含めて多くの人がそう思うことだと思います。
 
しかし実際には中々その想いの個人差がなくなることはありません。
 
想いの量を均一化するということ。
これは子どもに例えたらみんながみんな同じ量の同じ思いでいるということ。
 
これもなんだか不自然なように感じてしまいます。
 
それぞれに個性があり、感じ方があり、発達段階があるように、
それぞれの受け取り方の量というのは必然的に違ってくるのだと感じます。
 
想いを同じ量にすることは難しいですが、同じ方向(理念)を向いていく為の
環境づくりはとても重要だと思います。
 
子どもに例えれば、
異年齢や選択制、セミバイキングやコーナーやゾーン、ピーステーブルなど
 
そういった環境を通じて自然と子どもたちが
子どもたち同士で学びあい、刺激しあい、
助け合い、共感しあいながら、理念に沿って育っていく。
 
理念を具現化していく為の環境という仕組みがそこにあることに気づきます。
 
カグヤで行っているこのブログも同じように理念を具現化していく為の仕組みです。
 
先日、ある法人で法人全体で理念設計とブログ発信を行って1か月が経ったため
お話をお伺いさせて頂いたのですが、理事長より
 
「ある園の職員が別の園のブログを読んで、
『今まで~~をしましたとか、子どもがどう感じていましたという感じのブログでしたけど、
本当はその保育は何の意図があってやったのかとか、どんな発達のためにあるのだとか、
子どもの発達を伝えていくことが大事なんだなって気づきました』
そんな気づきをしている職員たちがすでにいてくれてうれしくなりました」
 
と教えて頂きました。
 
そんなお話をお聴きして感じたのは、
新たに用意したこの理念ブログという仕組みだけでは
こんなに短期間の変化や声は出なかったのではないかということです。
 
この法人さんでは、もう10年に渡り、「場面記録」という呼び名で
エピソード記述やカンファレンスをする仕組みを全体でお持ちでした。
 
その仕組みと今回の理念ブログの仕組みがマッチングしているように感じるのです。
 
ただ異年齢の仕組みだけを導入するよりも、選択制やコーナーやゾーン、
ピーステーブルやお手伝い保育、父親保育、成長展、などなど様々な仕組みを
複合させることで理念がより体現しやすくなるということのように感じます。
 
改めて、理念を実現していく為の仕組みとはどんなものがあるのかを
探求していきたいと思います。
 

 
ミマモリスト
眞田 海

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●過去のバックナンバー
【第1号】新宿せいが保育園成長展報告
【第2号】築120年古民家『聴福庵』のあゆみ
【第3号】GT保育環境セミナーQ&A質問集
【第4号】一円観は世界を変える!?①
【第5号】保育所保育指針改定から見えてくるもの
【第6号】手織作品展に出展
【第7号】アクティビティ開発の裏側
【第8号】臥竜塾年間講座⓪
【第9回】臥竜塾年間講座①
【第10号】水車小屋 聴風庵
【第11号】舞台女優 澤はま児
【第12号】一円観は世界を変える!? ②
【第13号】臥竜塾年間講座②
【第14号】ミマモリングソフトよくある質問40
【第15号】世田谷区 保育園見学
【第16号】築120年古民家『聴福庵』2017①
【第17号】新宿せいが子ども園 父親保育
【第18号】築120年古民家『聴福庵』2017②
【第19号】七夕機織り
【第20号】第44回保育環境セミナー前編
【第21号】第44回保育環境セミナー後編
【第22号】聴福庵2017③
【第23号】聴福庵2017④番外編
【第24号】臥竜塾年間講座③
【第25号】聴福庵2017⑤
【第26号】GTサミット2017
【第27号】聴福庵2017⑥
【第28号】ドイツ大規模同窓会
【第29号】第45回保育環境セミナー前編
【第30号】第45回保育環境セミナー後編
【第31号】生き物いっぱい藤﨑農場
【第32号】聴福庵2017⑦
【第33号】臥竜塾年間講座④
【第34号】第46回保育環境セミナー前編
【第35号】第46回保育環境セミナー後編
【第36号】聴福庵2017⑧
【第37号】聴福庵2017⑨
【第38号】GT関東研修大会前編
【第39号】GT関東研修大会後編
【第40号】聴福庵2017⑩

こんにちは、眞田です。
9月に入ると、もうすぐ終わりゆく夏の背後に見える秋の気配と、
まだまだ夏だぞ!と感じられるような気配。
山へ登るとすでに冬の気配を感じられ、
様々な季節が感じられるようなそんなお得な気がしています。
その時期にしか感じられないものをまた味わっていきたいですね。
そんな中、先日のドイツセミナーの中で学んだことの一つに
レッジョエミリアアプローチに関することがありました。
お話を聴いていると、
日本とはレッジョエミリアの取り入れ方が違うことに気づきます。
日本ではよく、
「保育方法や考え方」としてとらえて実践されている印象がありますが、
ミュンヘンでは町全体を上げて両親を始め、
すべての陶冶にかかわる人材が協力して
陶冶を行っていくために取り入れているということが特徴的でした。
保育園で保育方法として取り入れているのではないということ。
これには衝撃を受けるとともに、あることを思い浮かべました。
それは、自分の子どもがお世話になっている
保育園で体験させて頂いている「父親保育」です。
この行事を通して、親が自分の子どもだけでなく、
その園に通う子どもたち、また卒園していった子どもたちを
見守っていけるように意識が変わっていく環境となっているように思うのですが、
この取り組みを継続していくことが、
「町全体」という範囲を広めていくように思いました。
取り組むことは同じでも、「何を見て」行うかで、
その取り組みの効果や価値は変わってくるのかもしれません。
忙しさを理由にせず、地域に自分が何を返していくことができるのか。
それをやはり地域住民として考えていかなければならないと
改めて感じる機会となりました。

ミマモリスト
眞田 海

父親保育というと、
お父さんたちが木を切ってツリーハウスを建てたり、
面白い遊びを用意してあげたり、キャンプをしたり、遊んであげたりと
そういった保育のワンシーンを体験することはあっても、
保育園園全体を体験できるということではありません。
皆で園長から事務、用務、フリー、リーダー、サブなど様々な役割を割り振り、
日案を立て、準備をし、普段の保育の流れの通りに、
朝の受け入れ、朝の会、おむつ替え、お帳面、遊び、昼食準備、
昼食、午睡、遊び、おやつ、帰りの会とすべてのことを行い、
皆で助け合うということ。
こういった園全体を体験できるということは
貴重な機会であることを感じます。
そういった意味で父親保育を振り返ると、
一つの行事が様々な方面でのメリットがあることに気づきます。
父親として・・・園への愛着が生まれ、父親同士、先生、在園児との絆が生まれる。保育園というものを体験から学べる。
母親として・・・久しぶりにゆっくりと自分の時間を作ることができる、父親の育児参加意識が増す
子どもとして・・・お父さんが先生をするということが誇らしく、自慢のお父さんと感じる
先生として・・・お父さんたちの遊び心満載の保育から新鮮な感覚や新たな感覚の学びを得られる
園として・・・園のクレームを言われる側から、言える側になれる(笑)→園の大変さを理解してもらえる
地域として・・・地域の子どもたちを大人たちがみんなで見守ってくれる
見学園として・・・地域再生や地域で子どもたちをどのように見守っていけばいいのかのモデルケースを学べる
これも父親保育を継続してきた10年間の積み重ねであり、
園長先生、園の先生、先輩のお父さん方のおかげであることに気づきます。
一つの行事でここまでの効果が期待できる行事というものを見たことがありません。
みんなにとって良いから、みんなにとって幸せな行事となり
広まり、深まっていくように感じます。
地域再生を考えたとき、地域の人材となっていく子どもたちのスタート地点である、
この乳幼児期にこのような取り組みが行えることの意義は非常に大きいと感じます。
この素晴らしい行事の意味や価値をこれからも深めて味わっていきたいと思います。

ミマモリスト
眞田 海